長坂 康代
さまよって辿りついたのがベトナム。主に、首都ハノイで過ごしてきました。しかし、私が踏み入れた地域社会で、20代だった私は「金持ちの国(=日本)から来た、ベトナムは腰掛程度ですぐに帰国するであろうネーチャン」と思われていたようです。そして、路上での食事、市場で買いもの、こうした私の日々の暮らしも観察され続けていたようです。地域のばあちゃんたちに「民衆生活ができている、OK」と評価されて以降、一地域住民としてハノイに「帰省」するたびに手厚く歓待してもらって、かれこれ20年ほどになります。
若造だった私が50代になっても、なお、食事をさせてくれたり、泊まらせてくれたり。地域社会にとって、私はいつまでも当時の学生のままなのかもしれません。居心地のよい空間、甘える場所があるのは、本当にありがたいことだと思っています。
しかし、この数十年の間に、私の呼び名が、お姉さん、おばさん、おばあちゃんに変化しました。出会った時は小学生だった子が、今や一児の母です。就学前だった男児は、ハノイの高校を卒業してオーストラリアに留学しています。彼らが幼い頃から、私はハノイの塗料販売店で手伝いをしながら、卸売市場で天秤担ぎをしたりリヤカーをひいたりして、その合間に宗教儀礼に参加していました。今思い返せば、過酷な生活や苦難さえも、新たに知る喜びと学びの連続で、何にも代えがたい経験でした。
こうして私が日本-ベトナムを往来している間に、日本在住ベトナム人が増加しました。私が住む地方でも、多くのベトナム人が働いています。自分の子どもぐらいの若い世代を丹念に追いかけ、外国人労働者の在り方にまで言及できるようにしていきたいと思っています
キーワード
ベトナム、マイノリティ、移動、コミュニティ、都市人類学
業績一覧
『ベトナム首都ハノイの都市人類学』刀水書房 2023年3月
